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息子の作った短歌 [言葉は言霊]

 今朝、顔を洗おうとして、ふと横をみると、洗濯機の上に一枚の紙切れがおいてありました。なにやら文が書いてあります。3首の短歌が書かれていました。

 もしや・・・と思い、息子に聞いてみました。
「もしかして、これ、お前が書いたんか?」
「そうや」
そう言って、息子はそれをポイとゴミ箱に捨てました。
「ちょっと、これお父さんもらっていいか?」
そう聞いて、短歌の書かれた紙をもらいました。

 その息子の書いたのが、これです。

実りの秋 桃栗三年 柿八年 名前の後ろに 大きな努力

 大学受験で毎日受験勉強に追われている今、自分の体験や希望から書かれたものかもしれません。

山の中 先祖の眠る 墓がある 近づくことなく 離れもせず

 うちのお墓は、山の入り口にあります。近づくことなく、離れもせず。これはまさにその通り。今、ご先祖様とはそういう付き合いです。短歌のことはよくわかりせんが、いい表現だと思いました。

ペダル踏み 足を奮わす 丘の上 坂を下りれば 広がる景色

 学校への往復には、急な峠があります。僕も自転車で通ったので、この気持ちよくわかります。これは学校へ行くときでしょうか。それとも家路に帰るときでしょうか。

 息子は高校3年生。文芸部に所属しています。僕の父も文芸部でした。その血が流れているのでしょう。

 いつの間にか、こういうものを書くようになったのですね。親馬鹿ですが、息子の作った短歌を見て、うれしかったです。今の息子の気持ちが表われているようです。
 死んだ父に見せてあげたかったです。


父の志が花開きました [言葉は言霊]

●野心でなした事柄は一代ではかなく消えてしまいますが、志は必ずそれを受け継いでくれる同志が現れます。北尾吉孝/SBIホールディングス株式会社代表取締役

 昨日、近所の方が、お米を持ってお礼に来ました。聞くと、新しいブランド米の名前の募集に応募し、それが採用されたとのこと。「比咩の米」という名前のお米だそうです。近所の人がその名前をつけたのです。


 また、続けて市の大きな俳句大会で3賞に入ったとのこと。そしてそれらは、亡くなった父から教えを受けていたおかげだと言うこと。
 心から感謝していることをうれしそうにお話ししてくれました。
 
 あ~~、教えというのは、死んでからも残るんだなあと思いました。

  父は、俳句をこよなく愛していました。決してそれで有名になろうとか、財をなそうとは思っていませんでした。好きな俳句を、たくさんの人に教え続けました。それが種となり、芽となり、今花開いたわけです。聞くところによると、けっこう大きな賞で、テレビでも放映されるとのことです。
 人を教えると言うこと。私心をなくした教えは、それを受け継いでくれる人がいるんですね。

  今、龍馬伝のストーリー佳境に入っています。
 私心のない志が、のちの世に花開きます。

  そして、今、亡くなった父の志が花開きました。うれしいです。
 僕もそんな志の種をまいていきたいです。


一周忌 [言葉は言霊]

 今日は父の一周忌でした。去年の今頃は、病院へ行ったり来たり。慌しい毎日でした。信じられません。

  この一年は、僕にとって、長い一年でした。あれから、今までやらなかったことをたくさん体験したからです。密度の濃い一年でした。

  初めて喪主になっての葬儀。市役所やいろんな所でのたくさんの手続き。四十九日。百か日法要。京都へのお骨納め。相続手続き。主となっての家での報恩講。そして今日の一周忌。

  今まで父にやってきてもらったことが、一気にきました。今まで守られてきたんだな、ということがわかった一年でした。

  今日は朝、墓場を掃除しました。きれいになりました。そして、自宅の掃除。お昼前、身近な親戚が集まり、自宅でお経をあげました。そしてささやかな食事会。これでようやく一区切りです。

 ぼくも一家の主。仏間には、先祖からの写真が飾られています。そして僕もいつかあの中に入るのでしょう。

 人が死ぬとはどういうことでしょう。

一葉落ち 土に帰れる ものばかり

 晩年、父の作った俳句です。死を考えると、何を大切にしたらいいのか、根源が見えるような気がします。

 今日は、僕にとって一区切りついた一日でした。


49日 [言葉は言霊]

 今日は、父の49日でした。本当に早いものです。
  父が亡くなったのが遠い昔のようです。年度変わりし、全然生活が違うからでしょうか。
  たくさんの人が来ました。

 お坊さんが来るまでの間、ビデオを見てもらいました。昨年度の子供達の「千の風になって」の合唱です。たまたま今日来られた方のお孫さんも映像に映っていました。美しい歌声。その場がしーんとし、違う空気になりました。歌声に聞きいる皆さん。父もどこかで見ていたでしょう。本当にいい供養になったと思います。

 父は、僕が教師になるのを楽しみにしていました。応援してくれました。父をかわいがっていた祖父が教師をしていました。大好きな祖父のようになってほしかったのかもしれません。また、文学青年として生きていきたかった夢が破れ、その願いを僕に託したのかもしれません。

  僕の教え子たちの歌声は、僕が教師になることを願っていた父にとってうれしい供養になったと思います。

  今日、一羽のツバメが何度も家の中に入ったり出たりしていました。父だったのかもしれません。今日であの世へ旅だった父。今までありがとう。さようなら。


先祖とのつながり [言葉は言霊]

 今回の父の葬儀で、おじさんやおばさんにいろんな話しを聞きました。初代からの家の歴史をこと細かに聞きました。そして見えたことがあります。それは今の自分が、先祖の影響を大きく受けているということ。

 明治・大正・昭和という激動の時代の中で生きてきた曽祖父、祖父、そして父。時代に流されることから生まれる苦しみや葛藤。その中で生まれた親子、兄弟同士の関係。そこから生じる家の雰囲気。それが家風となり、次の世代に引き継がれていく。それが今の自分の性格に大きく影響しているということがわかりました。

 時代流れに奔流されてきました。その中でその現状を受け入れ、乗り越えてた父。苦しかったろうと思います。また祖父も苦しかった。父の本をまとめていく中でそれはより一層、鮮烈に見えてくるだろうと思います。
 ただ言えることは、今の自分は先祖と大いにつながっているということ。大きな流れの結果なのです。それをどう理解し、受け入れるか。そして消化することで、これからをどう生きていくかが見えてくるような気がします。それは、きっと幸せにつながっていく生き方なのでしょう。

 そのために、まず父の一生、生きざまを本にします。父の残した言葉(言霊)をたよりに。言葉は言霊。必ず出版します。


たくさんの感動 [言葉は言霊]

 葬儀がようやく終わりました。正直、大変でした。たくさんの人の中でのあわただしい時間。非日常の怒涛のような世界でした。

  しかし、たくさんの感動を得ました。まず御世話になった葬儀場のスタッフの人たちの仕事に対する姿勢、これに感動しました。死んだ父や僕たちに対する心からの真心を感じました。あえて名前を出します。「紫雲閣」という葬儀場です。本当に誠心誠意。仕事抜きの真心を感じました。若いスタッフばかりです。高い志の元で仕事をされていることを強く感じました。同じ仕事をするのでも、志次第で変わります。単に形だけの真心ではなく、思いのこもった真心は本物です。その本物を感じました。

  式の演出も心憎かったです。写真を元に映像を作ってくれました。事前に一度。お通夜の時に一度。そして葬儀の時に一度、合計3回流れました。3度とも感動して泣いてしまいました。
 俳句仲間が弔句を読んでくれました。感動しました。式の途中にうちの子が「じいちゃんへ」とメッセージを読みました。泣きながら読む姿に、また感動しました。お棺の中の父の周りを一人ひとりのお花でいっぱいにしていきました。最期だと思うとまた切なくそしてまた感動しました。そんな流れの中で、何度泣いたことでしょう。

 たくさんの人が来てくれました。子供達や保護者のみなさんもたくさん来てくれました。本当に驚き、そしてうれしかったです。
 感動的な式でした。感謝の気持でいっぱいです。

 あまり寝ていません。よくもったものだと思います。
 しかし、普段得られない体験ができたことは確かです。父はにぎやかにおくってもらい、満足したことでしょう。そして、ぼくはこれからより強く生きていきます。


葬儀での挨拶 [言葉は言霊]

葬儀での挨拶を考えました

 本日はお忙しいところを亡き父の葬儀にお集まり下さいまして、まことにありがとうございました。

 父は昨年末に肺炎を患い、入院しました。一時は、病状もよくなり、「家に帰りたい」と口癖のように申しておりました。つらい入院生活も良く我慢しておりましたのは、真面目だけがとりえだった、父の生き方そのものであったと思っています。
 ひたすら回復を祈っておりましたが、その甲斐も無く3月10日に永眠をいたしました。

 父の入院中、僕は、父の昔からの文章を少しずつ読んでいきました。高校時代から、父は俳句を愛し続けました。文学を愛し続けました。純粋な父でした。不器用な父でした。しかし一途な父でした。そんな父のことをたくさんの人が愛してくれていました。そんなことを父の書いた文章や今までのことで強く感じています。
 
 さて、自宅には父の書き溜めた膨大な文章が残っています。その文章から一冊の本を作りたいと考えています。
 父が魂を込めた文章を本にすることで、父は永遠に生きるのではないかと思うのです。そしてそれが一番の供養だと考えています。完成しましたら、ぜひご覧になっていただけるとうれしいです。
そしてぜひ、その本の父の言葉を聴いてあげてください。

 最期に、どうか皆様、未熟な私どもに、今後とも亡き父同様にご支援を賜りますようお願い申し上げます。故人が生前に賜りましたご厚情に改めて御礼申し上げますとともに、今後も変わらぬ ご指導をお願い申し上げまして、私からのご挨拶とさせて頂きます。

本日はまことにありがとうございました。 

 父のためにたくさんの方が動いてくれています。心から感謝です。


父の最期 [言葉は言霊]

 昨晩、父が亡くなりました。息をぜいぜいさせながら、肩で息をし、あごで息をし、その間隔がだんだん長くなり、最後は息が止まりました。苦しみからやっと解放されたように、しずかに息をひきとりました。
 覚悟はしていたものの、涙がとまりませんでした。午後10時48分。家族、兄弟に看取られた幸せな最期だったと思います。享年76歳でした。

  俳句を愛し続けました。文学を愛し続けました。そしてたくさんの人に愛されました。今は穏やかな寝顔。やっと自宅に帰れました。

  長い間、たくさんの人を支えてくれました。心からご苦労様。ありがとうと言いたいです。明日はお通夜。父が喜ぶ夜にしたいです。


幸せのお日様 [言葉は言霊]

 今日は、僕が小学生だった頃、父によく連れていってもらった食堂へ、家族で行きました。何かあるごとに連れていってもらいました。

 あれから30年以上経つというのに、今だに当時の面影を残し、営業しています。中へ入ると懐かしさが込み上げて来ました。今は僕が父となり、家族を連れて来ているのです。


 当時と同じようにお座敷に座りました。お日様がぽかぽかと差し込む暖かい場所でした。今は建物が邪魔して見えませんが、昔は白山と潟が見えました。

 ここへ来ると食べるものは決まっていました。
 卵丼うどんです。大好きでした。


 今日も同じメニューを注文してみました。
 食べてみると、味は当時のままです。砂糖醤油の甘い味付け。子供が好みそうな味です。
 一口食べるごとに、その当時のことがよみがえって来ました。ここに父が座り、母がいて、弟が隣に・・・懐かしさとおいしさで心が暖かくなりました。

 妻や息子が食べている様子を見ていると、心がさらに暖かくなります。父も多分そんな気持ちで僕たちのことを見ていたのでしょう。

  この当時、父はブルドーザーの運転手をしていました。若い頃、お金で苦労した父。現金収入が最も得られる仕事として選んだのでしょう。お金にもゆとりができ、自家用車を持ち、遠いこの食堂まで、よく連れていってくれました。

 暖かいお日様と思い出の味で、幸せな気持ちになりました。
 父も今の僕のように幸せのお日様を浴びていたのでしょう。

 

最後に、この当時の父の詩を掲載します。

運転手

キャタピラに片足を掛けて
大きな反動をつけてよじのぼるのがくせであった
霜が眩しかった
運転台が高すぎた

動くまでは冷たい巨大なただの鉄だった
がエンジンがかかると男は血の色を取り戻した
鉄が力になった
   徳川時代
   一揆があった
   莚旗が流れて
   鎌や鍬がぎらぎら束になった
   怒涛のような力になった

排土板をさげる
排気音がつんざき機体が地響を立てた
その音は
もろもろの音であった
小気味がよかった
山も谷もなかった
真直ぐに進んだ
古い墓場が崩れ落ちるのが見えた

拓かれたところは見渡すかぎり新しい土であった
そこには血の境界も
力への憤りもなかった
だだっぴろい涙の出るような平原であった
男はまるでここが見慣れたふるさとの風景でもあるかのように
無性に口笛が吹きたかった

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〈幸せに向けての記録〉
1.小魚・海草を食べる・・・○
2.50回以上かむ・・・○
3.間食をしない・・・×
4.ストレッチをする・・・○
5.父を見舞いにいく・・・○ 以上の項目を断固として実行する
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後姿 [言葉は言霊]

 いま振り返れば、父母も、人間としての未熟さを抱え、成長の道を歩み続けていたのだと思います。しかし、親だからといって、子供の前で完璧である必要はありません。未熟な一人の人間として、成長を求め、一生懸命に生きる姿を見せてくれた。その生き方の大切さを、後姿を通じて教えてくれました。(田坂広志 シンクタンク・ソフィアバンク代表)

  僕も父となり、今の年になってわかること。それは、いくつになっても、未熟だということ。不器用だということ。40歳を超えれば落ち着くかなと思っていたのですが、まだまだ迷い、失敗します。しかし、だからこそ、成長できる。

  そんな自分が一生懸命生きる姿。後姿を見せることが大切だと思います。不器用ながら成長していく姿。生きる姿。

  僕の父も一生懸命生きていました。朝は田んぼの水を見回り、その後仕事へ。ブルドーザーの運転をしてました。その後、家に帰り、鶏の世話。養鶏場もやっていたのです。1000羽近くの鶏がいました。そして、俳句を作る。今考えると超人的な働き振りです。家族を守るため、現金収入が入る仕事を一生懸命やり続けた父。そして自分を育てるため俳句を作り続けた父。そんな一生懸命な生活をしていました。
 今の僕にはその父の後姿が大きく見えます。

 日々、成長していきたいです。またそんな姿を僕も子供達にも伝えたいです。─────────────────────────―――
〈幸せに向けての記録〉
1.小魚・海草を食べる・・・○
2.50回以上かむ・・・○
3.間食をしない・・・×
4.ストレッチをする・・・○
5.父を見舞いにいく・・・○ 以上の項目を断固として実行する
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