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横井庄一 [その他]

 1972年1月24日、グアム島で28年間逃亡生活を送っていた元日本兵横井庄一が地元の漁師に発見されました。

  横井庄一は、戦争が終わったにもかかわらず、投降勧告をアメリカの謀略と考え、グアム島のジャングルで、入り口縦横80センチ、深さ2メートル、奥行き3メートルの穴を根城にゲリラ生活を始めます。どんなに孤独で厳しい戦いだったことでしょう。

 食料は、パンの実を食べ、たんぱく質は野ブタ、ネズミ、トカゲ、毒を抜いた毒ガマ蛙、また、竹で作った籠で川のエビやウナギを捕り、アメリカ軍に見つからないように猟をした痕跡を常に跡形もなく消し去ります。食べることだけでも、毎日が壮絶な戦いであったことでしょう。

  衣類は、元洋服屋の技術を生かし、パゴの木の薄皮をはいでアク抜きし繊維を作り、手製の機織りで布にし、縫い上げて、半年がかりで完成させました。

 僕は山でテントを担ぎ、縦走しますが、それは、食料がしっかりあり、着るものもある。それでもハードです。しかし、それがなく、ぜんぶ自分で調達する生活。毎日がサバイバル生活。想像を絶します。

  1972年、小柳ルミ子の“瀬戸の花嫁”やぴんからトリオの“女の道”が大ヒットし、札幌冬季五輪が開催され、平和ボケ真っ只中の日本に突如現れた日本兵。横井庄一。衝撃でした。

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  この当時のことは、僕自身、鮮烈に覚えています。「恥ずかしながら、帰って参りました。」という言葉に驚き、なぜ、恥ずかしいのか、わかりませんでした。テレビの中の横井庄一を見たとき、戦争はまだ終わってなかったのか、という強い印象を持ちました。

 今日は、その横井庄一がなくなった日です。

無駄には食うな 着るな 使うな ~ 横井庄一

 横井庄一は、今の世の中をどんな風に見ているのでしょう。不況といわれますが、考えるとぜいたくな世の中です。十分に恵まれ幸せな私たち。そんなことを横井さんの言葉から感じます。


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コメント 3

shira

 横井庄一さん、懐かしいなあ。
 私の母はサイパン島で地上戦を経験してますので、横井さん発見のニュースには大変な思い入れがありました。
by shira (2009-09-22 23:25) 

ふっとわーく

この頃って日本はまさに高度成長の頃ですよね。一方でオイルショックでトイレットペーパーの買い占めもありましたね。

沖縄が日本に帰ってきたのも確かこの年だったと思います。(結構年号で覚えているのです)

沖縄の本土復帰、そして横井さん、今にしてみればまだまだ戦争は終わっていなかったということですよね。そんな実感(!)は全くなかったと思いますが。


by ふっとわーく (2009-09-23 08:29) 

ムッシュ

shiraさん、いつもありがとうございます。
「私の母はサイパン島で地上戦を経験してますので・・・」
それは、それは、大変な思いをされたでしょうね。
横井庄一さんに特別な思いをされた方って、たくさんおいでるのでしょうね。

ふっとわーくさん、ありがとうございます。
コメントを読んでいると、懐かしさがこみあげてきました。オイルショックで、漫画雑誌がすごく薄くなったのを覚えています。
沖縄の日本復帰、これも懐かしいですね。まだまだ戦争はおわってなかった時代だったんですね。
by ムッシュ (2009-09-23 19:32) 

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